現在は「参拝の証」として、いただく御朱印ですが
歴史を辿ると「納経の証」として御朱印を書いていたようです。
写経をして、それをお寺に納める、
その証として御朱印をいただいていました
ではなぜ納経の証だったのでしょうか?
経典を書き写す「写経」。
現在では「心が落ち着く」ということで
各地で行われていますが
何故、仏教で写経が大切にされてきたかと言うと
経典を伝承するためでした。
コピーや印刷のない時代
経典を書き写すことで、各地に経典が弘まっていきます。
もし、写経を現代に当てはめるとしたら。
書物として出版する、WEB上に公開する、
あるいはデータとして保存しておくという作業の方が
元々の写経の功徳に近いのかもしれません。
しかし、一方で
一文字一文字を仏さまだと思い
丁寧に書くという行為も決して無駄なことではありません。
写経が大切にされてきた、もう1つの一面は
書く瞑想だからです。
書くこと自体が修行なのです。
写経は仏教の修行の1つとされ、
大切にされてきました。
そして、写経には
為書きがあります。
誰のために? 何のために? どんな思いで?
写経はそれぞれの祈りとともに、あったのです
為書きを書き、写経したものを納める「納経」
祈りを神仏へ報告します。
これは神仏へのお願いではありません。
神仏への誓いです。
仏教では誓願と言います。
神仏に自己の祈りを伝え、
ただただ叶えてくださいというのではなく
祈りのために私は○○しますから
どうかお守りください
というお約束(=縁結び)なのです。
現代では写経し、納経するということは
難しいかも知れません
しかしかしながら
自己の祈りを問い返し
自己と向き合い
神仏とお約束をする
という本質の御朱印の意義は忘れずにいただえけると嬉しいです。
さらには寺社巡りを通じて
自己の祈りを
他者へ向け
経典を書き写す「写経」。
現在では「心が落ち着く」ということで
各地で行われていますが
何故、仏教で写経が大切にされてきたかと言うと
経典を伝承するためでした。
コピーや印刷のない時代
経典を書き写すことで、各地に経典が弘まっていきます。
もし、写経を現代に当てはめるとしたら。
書物として出版する、WEB上に公開する、
あるいはデータとして保存しておくという作業の方が
元々の写経の功徳に近いのかもしれません。
しかし、一方で
一文字一文字を仏さまだと思い
丁寧に書くという行為も決して無駄なことではありません。
写経が大切にされてきた、もう1つの一面は
書く瞑想だからです。
書くこと自体が修行なのです。
写経は仏教の修行の1つとされ、
大切にされてきました。
そして、写経には
為書きがあります。
誰のために? 何のために? どんな思いで?
写経はそれぞれの祈りとともに、あったのです